池袋
昨日の朝、池袋の駅でいつも寝ているホームレスのおじさんがいなくて心配になった。
階段の下に毎朝いたから、もうわたしにとってあのおじさんは池袋になくてはならない風景の一部になっていたらしく、すぐに異変に気付いた。
名前も知らないおじさんの命が心配になる経験をどれくらいの人がしたことあるんだろう。
黒いリュックを枕にして階段の下の床に寝てる、髪の長いおじさん。。。
ホームレスがどこから食料を得て生きていられるのかは本当に謎だ。
それにそういった方たちは酔っ払っていることが多いけれど、一体どこからお酒を手に入れてるのだろうか。
ホームレスに関するドラマや映画はそう多くない印象がある。
登場人物や景色に変化のない物語を面白く魅せるのはとても難しいことだ。成長でも退化でも変化がなければ観客は飽きてしまうから。
余談だが 世阿弥の『風姿花伝』の時代から「序破急」という物語の緩急が意識されていたらしい。本当すごいよ、昔の人。
ホームレスの方からすれば暮らす場所や食べるものに安定性は皆無で常に変化し続ける生活なのかもしれないが、わたしたちからしたら今日見かけたホームレスも明日見かけるホームレスも、「家がない」という点でなんの変化もないただのホームレスに見えてしまうような気がする。
そもそも大きな変化がないからホームレスのままなのだ。
そういえば、
今日からホームレス始めました!みたいなホームレス初心者を見たことがない。絶対に見つけられていないだけだと思うけど。
いつだってホームレスは生まれた時からホームレスだと言わんばかりの貫禄だ。
たっぷりの空き缶を後ろに乗せ ゆっくりとだが平衡を保ちながら自転車を漕ぐ姿はまさにプロ。
(バカにしてるわけではなくて本当にそう見える。)
ホームレスといったら、臭くて汚くてなんだか怖いという最悪のイメージ。小さい頃なんかはお母さんに言われなくとも絶対に近づくことはなかった。
でも最近わたしはホームレスにすごく興味がある。
助けてあげたいと言ったら、世の中何も知らない小娘が何大口叩いてるんだ!と思われるかもしれないができることなら助けてあげたい。
人の幸せを勝手に決めつけるのは良くないけれど、住むお家は絶対にあったほうがいい。
体の健康のためにも心の健康のためにも。
生まれた時は確実に家があったはずなのだ。生まれてすぐに栄養が与えられる環境にあったから今生きているのだ。
いつどこで彼らはホームレスになってしまったんだろう。なによりそれを知りたい。
彼らも子供時代はおもちゃを買って欲しくて床に寝そべりながら泣き出したり、好きな人と触れ合って胸がドキドキしたり、人生の終わりだというほどの悲しみを経験したりしているのだろうか。
それともそんな余裕のないまま、小さいときから家をなくしていたのだろうか。
日本で他国の大規模な震災や貧しい子供たちのために募金をしているのをよく見かけるが、 自国の人でさえ外で暮らしてる人間がまだ存在しているというのにその問題には目を背けたままでいいのだろうかと疑問に思う。
もちろん他国を救うことも大切だけどさ。
ホームレスの映画いつかつくってみたいな〜。
そしたらホームレスに対する関心も高まる気がする。わたしも全然勉強不足だけど。
ホームレスの映画をつくるためにはまずホームレスにインタビューしないと。だからそのときには池袋おじさん(もうそう呼ぶことにした。)に聞こう!って決めてたのにな。。
どうかご無事でありますように。